追悼 サイレンススズカ
2009/10/28
もうすぐその日はやってきます。
93年有馬記念をもってトウカイテイオーが引退し、
尊敬する馬がいないと思っていたら
その馬は1997年に疾風のごとく現れた。
そして 1998年11月1日 天皇賞(秋)
この日、一頭のサラブレッドが、誰も予想しなかった最後のレースを迎える。
孤高の逃げ馬 サイレンススズカ
のちに大川慶次郎氏が
「これだから競馬に絶対はない」 と言ったレースでもある。
不利といわれる逃げ馬が
デビュー戦から凄まじい戦歴を飾る。
特に最後の年、1998年は凄まじい。
2月14日 東京
バレンタインS OP
1着 武豊 芝1800m(良) 1.46.3(上3F 36.0) (2着ホーセズネック)
3月15日 中山
中山記念 GII
1着 武豊 芝1800m(良) 1.48.6(上3F 38.9) (2着ローゼンカバリー)
4月18日 中京
小倉大賞典 GIII
1着 武豊 芝1800m(良) 1.46.5レコード(上3F 36.4)
(2着ツルマルガイセン)
5月30日 中京
金鯱賞 GII
1着 武豊 芝2000m(良) 1.57.8レコード(上3F 36.3)
(2着ミッドナイトベット)
7月12日 阪神
宝塚記念 GI
1着 南井克巳 芝2200m(良) 2.11.9(上3F 36.3) (2着ステイゴールド)
10月11日 東京
毎日王冠 GII
1着 武豊 芝1800m(良) 1.44.9(上3F 35.1) (2着エルコンドルパサー)
全て1着。レコードタイム2回。
最初から最後までペースが落ちない脅威のスタミナ。
この時代は烈強揃いの時代。
エアグルーヴ、マチカネフクキタル、タイキシャトル、ステイゴールド、
ローゼンカバリー、エルコンドルパサー、オフサイドトラップ などなど。
そんな中 1998年 6連勝という戦歴をかかえ
迎えた運命の日 11月1日 東京競馬場 天皇賞(秋)GI 芝2000m(良) 武豊騎乗
1枠1番。
本当は着順も1番になる予定だった。
私から見ても、ディープインパクトの強さなどは彼の比ではない。
天皇賞でもオッズ1.2倍。
ファンファーレのあと、今となっては最後のレースが始まった。
当然の 大逃げ。
テレビ局の中継カメラが目いっぱい引かなければ
すべての出走馬を映し切れないほどの大逃げ。
とはいっても、サイレンススズカにはいつもの走り。
3コーナー手前では2番手に10馬身差、
さらにそこから3番手までが5馬身と後続を大きく引き離しての豪快な走り。
しかし、運命の3コーナー。
3コーナーの辺りを過ぎ、4コーナー手前で突然の失速。
ぶらつく左前脚、地に着けない左前脚。降りる武豊。
左前脚手根骨粉砕骨折により、競走を中止。
テレビには故障した左前脚が映し出されていた。
【 沈黙の日曜日 】 と言われたが、サイレンススズカがいなくなった最終ストレートでは悲鳴も上がっていた。
もちろん、私もその一人。
予後不良の診断がされ安楽死。人間なら治せる骨折も、馬は動いてしまうから治らない。
なぜ骨折したのかは原因不明。
一説には限界を超えた走りで疲労骨折という説もあるが定かではない。
その後、武豊は骨折の原因を 『 原因は分からないのではなく、ない 』 と言った。
皮肉にも11月1日に1枠1番で1番先頭を走った馬の死後、今年で11年目。
そしてあの時と同じ11月1日は今年も天皇賞(秋)の日。
コレを書きながらも涙が出る悲しい出来事。
私の胸には98年はじめに買ったサイレンススズカがネクタイピンとなっていつも着いています。
悲しい表現ですけど
最後の最後まで全力で走り続け、悲哀の死を遂げた馬 サイレンススズカ。
馬でありながら見事。
自分もこうありたいと思わせる馬
尊敬に値します。 合掌。