道内3日目
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2018年8月14日
天気は、予報に反して晴れ間がのぞく上々のお天気。
今日はソロツーではなく、久々の先導車。若干キンチョー。
R244 〜 R243 〜 R44を経由して浜中町に向かう。
目的は浜中町出身の漫画家モンキー・パンチさんの資料を展示している
モンキーパンチコレクション館(入場無料)へ。
この地域には霧多布という地名があるけど、まさに薄い霧の中で幻想的だった。
コープはまなかのソフトクリームも食べたかったけど、今回はルートが違うので次回の宿題。
このソフトクリームはハーゲンダッツと同じ牛乳を使っている。
釧路の和商市場へ行き、お土産発送と勝手丼で昼食。
ちょっと活気がなくなっていて残念。
ここからは完全な雨予報なので早々と道内初のカッパを装着。
これ以降、最終日までカッパはお世話になることになる。
斜里に向かう途中、さくらの滝へ。
最近メジャーになってきた滝だ。
前回はあまり飛んでいなかったが、今回は活性が上がっていて飛びまくり。
元気をもらった。
そして私の中で斜里町残念遺構ナンバーワン
越川橋梁 へ。
北海道の橋梁といえばタウシュベツ川橋梁が超有名。
斜里っ子からすれば、越川橋梁(幻の陸橋って呼んでた)のほうがスゴイと思ってる。
以下、ウィキペディアより
越川橋梁(こしかわきょうりょう)は、北海道斜里郡斜里町にあるコンクリート製の鉄道橋である。
正式名称は第一幾品川橋梁(だいいちいくしながわきょうりょう)であるが、
通称としての「越川橋梁」の方で呼ばれることが多く、
登録有形文化財の登録にあたっても通称名が採用されている。
歴史
1939年(昭和14年)、越川駅 - 上越川駅間の国有鉄道根北線の橋梁として建設が開始される。
周囲数 km四方に民家すらない北海道の山間奥地に作られた、
全長147 m、最大地上高21.6 m、軌道の勾配25パーミルの10連コンクリートアーチ橋である。
戦時体制下の鋼材不足のため、鉄筋は使われていない。
多くのタコ部屋労働者が使役され、11人の者が命を落とした。
[戦時中、労働者を逃げられないようにしながら(通称タコ部屋)強制的に働かせていた。。
道路、トンネル、鉄橋、炭鉱などで主に囚人などが働かされ、多くの人々が病気で死んだ。]
1941年(昭和16年)には太平洋戦争の影響による物資欠乏のため根北線の建設は中断される。
越川橋梁はほぼ完成した状況にあったが、
戦後になっても根北線の越川より根室標津方が開通することのないまま、
1970年(昭和45年)に根北線自体が廃止され、結果として一度も使用されることはなかった。
1973年(昭和48年)、旧根北線のルートと並行する国道244号の拡張工事の際、
支障する橋脚2本が撤去されたが、残りの部分は健在である。
1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録された。
以下、ちょりゃの 生きペディア より
斜里では「幻の鉄橋」って言っていた。(鉄橋=鉄道用の橋)
人柱の話は斜里では有名な噂話。
工事をはやく終わらせるために働かされて、死んだらこの鉄橋の下にうめられ、
何人ものタコ労働者が人柱に入れられたといわれている。
1980年ころ、ここには人柱が入っているという噂をききつけ
笑うセールスマンで有名なギミアぶれいくで調査されたこともあった。
地元の小学生にはオカルトスポットでもあり、下に流れる幾品川は遊び場でもある。
近くに温泉もある (超ちっさいけど)
でもなぜ残念遺構ナンバーワンかというと
斜里町のやる気のなさ。
駐車場なし、案内なし。な〜まらやる気なし
天まで続く道やタウシュベツ川橋梁より
ミステリアスでいいと思うけどなぁ。
実家に着き、温泉に行き、その後ちゃんちゃん焼きと刺身(鬼盛り)で夜宴。
おまけ。
ちょりゃ家。
親族パワーで、がっつりブームに便乗していたwww